~よっしぃの独り言                   医者として10年程仕事をしてきました。 医療関係者と一般の方々の間に大きな隔たりがある事も実感しました。 これは、お互いにとって不幸なことです。 このすきまに橋を架けれたらと思いブログを始めました。
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2009/11/25 Wed 20:21
それから、数ヶ月が経った外来での出来事です。

レントゲンを見ると肺の腫瘍は間違いなく大きくなっています。


診察室に入ってくるEさんは、明らかにふらついています。

『Eさん、どうですか?』

『別に、かわりないです。』

『えっ、ふらふらしてませんか?』

『いや、大丈夫です。』

『Eさん、おそらく頭の転移も大きくなってきていると思います。

入院して、治療した方がいいと思いますよ。』

Eさんは、入院したくなさそうでしたが、家族にも勧められ入院することになりました。

また、点滴も始まります。

Eさんは、点滴も嫌いでした。

また、ナースたちの言う事は聞いていないようです。

Eさんと家族と相談の上、1種類での抗がん剤治療をはじめることになりました。

抗がん剤治療が始まり、2週間が過ぎてもEさんのふらつきはよくなっていません。

吐き気なども出てきており、むしろ悪化している印象です。

しかも、足がしびれるとの訴えも出てきました。

調べてみると腰椎(腰骨)への転移が見つかりました。

神経を圧迫していて、両足が完全麻痺になる可能性もあります。

その場所にも放射線治療を開始しました。

残念ながら、Eさんは手すりを持って歩くことすら出来ない状況になってしまいました。

Eさんと奥さんとに病状説明を行いました。

『Eさん残念ながら、抗がん剤の効果はありませんでした。

放射線の効果はもうしばらくしてから出てくるかも知れませんが、今のところ効果はありません。

病気で動けなくなっているので、Eさんのプライドは許さないかも知れませんが看護師の世話になってください。』

Eさんは、うなずきました。

しかし、なかなかしもの世話や身の回りのことを看護師にさせてくれません。

腕の力だけでベットから動こうとしたりさえします。

しかも、ナースに文句は言う口だけは元気です。

そんなある日、奥さんが私の元にやってきました。

『先生、あのひとよくなることはないですよね。

家で過ごすことはできませんか?』

『……、出来なくはないですけど、奥さんが大変ですよ。

奥さんや家族の方さえよければ、また往診してくれる先生が見つかれば出来ると思いますよ。』

Eさんの性格、その他を考慮すれば自宅療養がベストなのはわかるのですが、完全に寝たきりの状態で足さえ動かせなくなった今、正直、かなり自宅療養は厳しいと思われました。

ただ、奥さんは、

『あの人の性格はわかっています。

わたしが甘やかしたから、ああなった面もあるんです。

だから、がんばってみます。』

奥さんは相当な覚悟でいるようです。

『もう、うちで診れないと思ったらいつでも連絡くださいね。』

Eさんは、退院しました。

1ヶ月が過ぎようとしたある日、往診の先生から連絡が来ました。

Eさんが自宅で亡くなったと。

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Eさんのご冥福をお祈りします。

そして、奥さんのがんばりに心から敬意を表します。
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2009/11/23 Mon 10:47
もう、ずいぶん前のことです。

Eさんは、70歳を少し回った男性でした。

肺がんでの闘病生活を送っていました。

どちらかというと少し癖のある患者さんでした。

まあ、医者の仕事をしているとよく経験するのですが、医者の前のナースなど医者以外のスタッフへの態度が全然違うのです。

ただ、その態度の差が激しいのです。

もう、Eさんとのつきあいは1年近くになっていましたので私も、そして病棟のスタッフも心得ています。

ただ、ひとつ違う点があるとするならば、その入院の前まで、Eさんは元気だったのです。

もちろん、ひとりで院内どこでも散歩していましたし、入浴もひとりでこなしていました。

今度入院してきたEさんの足はふらふらしておりひとりで歩くのがおぼつかない状態でした。

原因を探してゆくと、頭(小脳)にある転移が原因でした。

『Eさん、ふらつく原因は、頭にある転移が原因です。

点滴での治療と放射線治療を開始しましょう。』

『わかりました。』

『Eさん、ただ、ひとつ約束して欲しいんです。

ふらつきがなくなるまで、ひとりで歩かないようにしてください。

もし、こけて骨でも折ったりしたら入院が長くなりますよ。』

入院嫌いなのを知っていた私はEさんにそう言いました。

すると

『わかりました。』と返事をされました。




しかし、翌日病棟に顔を出すとナースたちからブーイングの嵐です。

『先生、Eさんにひとりで歩かないようにもうきつく言ってください。

昨日も、声もかけずにトイレに行くし、注意しても「イヤだ、ひとりで行く。」って聞かないんです。』

それから、何度か私からもEさんに説明をしましたが、私の前では『わかりました。』なんて言うのですが、実際は勝手に歩いているようです。

そして、実際に転倒して腕に大きな傷を作りました。

幸い、骨折はしませんでしたが。

再度、Eさんに注意をする頃には放射線治療の効果も出てきておりふらつき症状はなくなっていました。

そして、Eさんは退院していきました。

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もちろん、続きます。

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人生いろいろ・特別編 
2009/10/22 Thu 11:50
とある、知り合いの先生の経験談です。

多くの方に読んで欲しい話でした。

ブログ掲載の許可をいただきましたので掲載いたします。

『mad, sad death』

 男性は、病室を訪れた私に開口一番言いました。
「癌やろ。分かってんねん。で、どれぐらい生きられるんや?」
私は病名を告げ、治療の選択肢(ほとんどありませんでした)を告げ、余命を告げました。
「そうか、抗がん剤は使わんでええわ。」
会話はそれで終了し、あとはそっぽを向いてしまわれました。

 15~16年前、まだ、「緩和ケア」の言葉は無く、「ターミナルケア」の時代です。モルヒネの使用法を熟知していなかった為 文献を繰り、病棟看護師達がターミナルケアの看護方針をレポートにする。そんな、時代。緩和の主役は医療でなく看護者にあり、主治医にあまり出番はなかった。

 輸血の効果あり倦怠感が薄れました。痛みは無いのか我慢されているのか、訪室した私に、「もう、なんも治療せんでええしな。このまま死ぬ覚悟できてるしな。」と、いつも憮然とした怒った顔で念押しされるのでした。

 当然、日に日に衰弱は進みます。勢いのついた癌の進行は止める術がありません。ある日、まだ若かった(かつ青臭い)内科主治医であった私の提案
「何か、して欲しいこと、したいことはありますか?」
(つまり、遣り残したことはないか、もう日がありませんよという意味ですね、残酷ですが、必要であったと思います)。

しばらく考え、
「家に、いっぺん、帰りたいな。」

 院長に上申し、許可を取り、その数日後に、私と、病棟の担当看護師一人付き添い、病院からタクシーで15分ほどの彼の自宅を訪れたのは、その当時の私にできる、精一杯の「ターミナルケア」でした。
歩いて病院に来られたのに、もう足腰は立たず、タクシーを降りると細い路地を両方から支えて家に歩き着きました。

 60台独身男性の一人暮らし。こぢんまりとした2階建ての一戸建ての家屋で、意外なことにとても片付いておりました。自分で掃除されていたという。家につくと、彼はダイニングテーブルの上の手紙の束を取り、2階へ連れて行ってくれ、と言いました。
2階も整頓され、必要最低限の家具しかない部屋はガランとしていました。押入れの上の段に、手紙を置く所定の位置が決まっていたようで、封も開けずに手紙の束をその場所に置くと、彼はそれですっかり満足したように、見えました。
 部屋の中をぐるりと見回し、

「ありがとうな。もう、ええわ。」

と。(それが初めての「ありがとう。」!!)顔は怒ったままだったのですが。
それだけ、たった、それだけの外出が、彼の最後の望みだったようです。

 帰途の忘れられない風景。車の通る道までは細い路地で、来た時と同じように両側から身体を支え歩いているときに、少し離れた場所から近所の人たちが数人、こちらを見て、何かひそひそ話しています。
軽く会釈をすると、その全員が、眉をひそめ、いかにも何か汚いものでも見たかのような表情で、顔を背けたのです。
私は、他人の、こういう態度をあまり経験したことが それまで無くて。
驚きました。衝撃を受けるくらい、驚いたのです。
この、末期癌に侵された男性は、今までの人生、一体何を重ねてきて、どのように生きてきて、どんなに悪いことをしてきて、その結果、どれだけの人々に疎まれてきたのだろうか、と 考えを巡らし、悲しい暗い気持ちになったのでした。

 さて、その希望外出から死まで 1週間、も、無かったかもしれません。
彼の死に様は壮絶でした。本当に、苦しまれたのです。
「ありがとう。」を口にしていただいた時、ほんの微かに垣間見られた穏やかな表情は微塵も無くなり、痛い、苦しいと叫ばれながら医師を看護師を罵倒されます。
「苦しいんや!なんとかしろ ヤブ医者!」
・・・sedationをかける必要は、ありませんでした。準備をする短時間のうちに、昏睡に入られたのです。
昏睡の直前、薄目を開けて私を認め、彼が言った言葉が
「先生、治してくれ。」 でした。
「治せ、死にたくないんや。治してくれ・・・・。」


 数日間の昏睡から 死前喘鳴、下顎呼吸に至り、呼吸停止 心停止をベッドサイドで看取ったのは、私 独りでした。
白く四角い病室で、その男性は たった独りで 死んでいかれた。

しばらく 私の耳には「死にたくないんや。」と言った彼の言葉が残っていました。
こういう、死も、ある。あったのです。

そして私は今日も、何か。を、考え続けているのです。

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H先生もいろいろ考えて出来うる限りの支援をこの男性にしたと思います

それにしても、人生の最期に近い状態になると医療関係者はその方と深くつきあわざるおえないことがあります。

家族が来なかったり、いなかったりする場合、医療関係者が家族のような存在となることを何度か経験してきました。

なんとコメントしていいかわかりませんが、非常に考えさせられる話でしたので紹介させていただきました。

最後にこの話もまさに人生いろいろシリーズだと思うのですが、書き手が違うとこうも違う印象になるのかと思いました。

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2009/09/13 Sun 07:32
それから、2ヶ月後肺の腫瘍は大きくなり始めました。

『Fさん、また一回入院でもして調べない?』

『入院は、イヤなの知っているでしょう。』

正直、治療後2ヶ月で大きくなった場合同じ薬剤では効果がないことが多いのです。

別の薬なら効果があるかも知れませんが。。。

『でも、またトポテカンという薬も使えるし』

『先生がよいと思っていろいろすすめてくれるのはわかる。

でも、私、入院するの嫌いやし、残された時間が短いのも知ってる。

抗がん剤したら少し楽になったけど治るわけではないのも知っている。

いくらしんどくないと言っても少しはしんどいし。

私の希望は入院しないで出来るだけ長く家で過ごしたいんです。』

その後、治療した方が長い時間生きれる可能性が高いと何度も何度も説明しました。

でも、Fさんの気持ちは変わりませんでした。

その後、外来に来るたび

『治療する気になったらいつでも言ってね。』というのですが。。。

『遠慮します。』

この繰り返しとなりました。

何度も抗がん剤を勧めましたが、意志は固かったようで「うん」とは言いませんでした。

もちろん、家族の方もこのやりとりを知っていてFさんの気持ちを尊重するとのことでした。

だんだんと通院がしんどくなってきました。

しんどくなってきても入院はしたくないようです。

Fさんの気持ちを尊重するために往診の先生にも来てもらうこととなりました。

それから程なくFさんは、衰えだんだんと食事ものどを通らなくなってきたそうです。

そんなある日、往診の先生からFさんがお亡くなりになったと連絡がありました。

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Fさんにとって、これで良かったという気持ちがある一方、もう少し治療をすすめていた方がよかったのかなぁと思う気持ちもあります。

確信できることは、Fさんが強い意志を持って3回目以降の治療を拒否したこと、また家族もその決断を受け入れていたことです。

それで、Fさんの意志を私を含め尊重することができたのです。

最期まで家で過ごすことができて満足だったと思っています。

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2009/09/12 Sat 00:17
それから、何ヶ月か経ったある日、Fさんは外来にやってきました。

『背中が痛いんです。』

『Fさん、骨に転移してるかも知れないし、ちゃんと調べないとはっきりしたことは言えませんよ。』

『痛み止めで様子を見たいんです。』

『わかりました。』

それから、1ヶ月後。

『痛みが強くなってきました。

でも、入院はしたくありません。』

『Fさん、背骨に転移していて神経を圧迫するようなことがあれば、両足麻痺することもあります。

また、膀胱直腸障害といっておしっことか便とかの感覚がなくなるかも知れません。

ちゃんと、調べましょう。

痛み止めの量の調節もした方が良さそうでしょう。』

『でも、入院は本当にイヤなんです。』

その日はかえられましたが、次に外来の時に家族に連れられてやってきました。

『尿と便の感覚なくなるのはイヤです。

入院します。

でも、1週間くらいで帰らせて欲しいんです。』

そんなこんなで、入院しました。

疼痛コントロールで麻薬の量や副作用対策の薬の調整をしながら、胸腰椎への転移の有無を調べました。

腰椎への転移がありましたが、麻痺を起こすようなものではなさそうです。

また、肺の原発巣もだいぶ大きくなっています。

Fさんとご主人さんに病状説明をしました。

そして、抗がん剤治療と骨転移に対する放射線治療をすすめました。

『先生、1週間って言ってたやん。

どんだけかかるの?』

『放射線は、外来でも可能ただし、毎日来てもらわないと。

アムルビシンという薬なら3日間連続で点滴して退院したらいいよ。』

『先生、ほんまにしんどくならん?』

『大丈夫やと思うよ。

前のしんどさの100分の1くらいやと思うわ。』

『しんどなったら、恨むよ。』

こんな感じでアムルビシンを3日点滴した後に退院しました。

幸い、本当に楽だったようで感謝されました。

さらに、効果もあり外来で3コースほど行いました。

肺の影も小さくなり、また外来で様子を見ていくこととなりました。

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